Thothの日誌

日々の活動や読んだ本について書き綴っていこうと思います

「同志少女よ、敵を撃て」を読みました

「同志少女よ、敵を撃て」をオーディオブックで聴きました。

 

 

独ソ戦ソ連の女狙撃兵となった主人公のセラフィマ目線から戦争を見ていくことになります。

 

この本を書くまでに関連する資料を沢山読み込んだであろうことがうかがえるくらいに緻密な描写が多く、狙撃する際のミルとか距離とかの説明を受けて「ヘェ〜」と感心してしまいました。(小並感)

 

しかし、セラフィマの心境の変化が分かりやすく書かれていて物語の転機が掴みやすく、結構分厚い本ですが、(オーディオブックだと15時間34分)退屈せずに聴くことができました。

 

 

イリーナの課題、助言

印象に残ったのは訓練学校卒業時でのイリーナからの課題である、トランプを使って決められた角度に決められた距離だけ進む、というもの。スナイパーというのはこうして距離感を培っていくのかと思いました。また、この課題は「自分の居場所を見失うな」というイリーナからの忠告が暗に込められていると思います。

 

動機の階層化

また、動機の階層化というのも重要なポイントだと思いました。

なぜ戦争をするのか、というと建前上は「国を守るため」という模範解答的なものが出てきますが、それだけではなく、個人的な動機も必要になる。しかしいざ戦場に立った時は個人的な思いを隅に追いやってただ目の前の敵を撃て、イリーナの言葉を私の言葉で言い表すとこのようになります。

 

兵士として優秀になったとしても

作中、歴史上史実の人物の女性狙撃兵であるルドミュラパブリチェンコというキャラクターが登場します。彼女は大変優秀な成績を収めていて狙撃兵達から尊敬されていました。

そんな彼女にセラフィマは会いにいくのですが、その時の彼女はとても寂しそうな孤独な印象がありました。

地の文でも、戦中は兵士としても戦うことを強制していたのに戦後になると突然市民として生きろ、と放置されることになり多くの兵士たちがPTSDに悩んだと書かれていました。そしてそのトラウマに囚われている様を弱さの証として恥ずべきものだとされているのはやるせない気持ちになりました。

戦争は人間を兵士として最適化するだけだったと地の文でもあり、国のためや名誉の為だけに活動するといざそれがなくなった時に虚無に陥ってしまうということかもしれません。

 

フリッツ、魔女のレッテル貼り

セラフィマが所属する赤軍はドイツ兵のことを「フリッツ」と呼ぶように指示され、まるで人間ではないかのようにドイツ兵を扱うように徹底されていました。ドイツ兵もまたソ連兵に対して同様のことをしていました。一種のレッテル貼りというか、自分達との区別ですね。

それが変わったと感じたのが終盤セラフィマが故郷復活の為に活動していても近隣の住民からは元女性狙撃兵ということで「魔女」と噂し、近寄るのを避けていました。

その住民の中の少年が彼女らに手紙を渡す必要が出てくるのですが、そこで少年は初めてセラフィマに会い、彼女が当時の戦友の死を知り、涙を流している姿を見て彼女もまた自分達と同じ人間なのだと実感するシーンがありました。

 

「敵を撃て」の敵

そして終盤に一度だけタイトル回収があります。地の分で「同士少女よ、敵を撃て」のワンフーズが出てきます。その「敵」はネタバレなので伏せておきますが、ドイツ軍ではありません。

 

タチアナの存在

セラフィマは親と村人を殺され、その憎悪とイリーナからの「死にたいか、戦いたいか」の問いに答える形で兵士になります。いわば兵士になる事を選ばされたかのように描かれていました。

ところが終盤、タチアナも家族を失いイリーナから同じ問いを受けた際に「私は看護師だから相手を殺すのは嫌だ、だが死ぬのも嫌だ。自分のできる事(治療)をする」と答えました。これはタチアナを通して作者からのメッセージでもあるような気がしました。二つしか選択肢がないように見えても第3の選択肢がある場合もある、と。

 

本屋大賞を受賞するだけあって読み応えのある本でした。おすすめです。