是枝監督の「怪物」を観てきました。
上映日のニュースでLGBTQ賞を受賞したと知ったのでその内容があると知っていましたがまさかあのような展開になるとは…
この映画での怪物は「それぞれの立場から見て自分の都合のいいように世界を見ようとする姿勢」を怪物と称しているのかな…と個人的に感じました。
そしてここからが結末の考察なのですが個人的にこの結末は3パターンの解釈ができるかなと感じました。
- 2人とも死亡している
- 列車から脱出して2人とも生きている
- 2人とも別世界に行ってしまう
1について
列車から抜け出す時の水炉が三途の川っぽかったのとその後の世界があまりにも美しすぎてまるであの世のような描写だったから。ただし、この場合、保利視点で見た時に廃列車内部に2人がいなかったことの説明が難しい。列車が横転した際に2人が死亡したのなら投げ出されて見つかるか車内にいたはずだから。でも保利視点ではどちらにもいなかった。小説版で明確に保利は廃列車の中を見て誰も見つからなかったと地の文で書かれています。(地の分が嘘をついていないと良いですが)
2について
あんなに嵐があったのに、列車から抜け出した世界が晴天の世界という疑問点を棚に置いておくと考えられるかなぁと思います。この場合、「どうやって生きていくんだろう?」という現実的な疑問がどうしても浮かんでしまいますが…。
3について
1と2の両方を鑑みて、かつファンタジーを受け入れるなら一番考えられる解釈だと感じました。保利が車内を見た時に2人が見つからなかった事、大嵐からいきなり晴天の世界に行った事、2人が最後に走って先にあった鉄橋のバリケードが跡形もなく無くなっていたこと、などがその根拠になるかと。文字通り別世界に行ったという解釈です。
終わりに
映画を観た後に「あの映画のその後はどうなったのだろう。あの結末にはどんな意味があったのか。」と沸々と考えが湧き出てくる映画でした。これはエンタメ系の映画では決して味わうことのできない映画でしたね。ただ2人の少年の物語と列車が出てくるので「銀河鉄道の夜」からの影響も受けているのかな?という印象を受けました。依里がジョバンニで湊がカムパネルラっぽいんですよね。