Thothの日誌

日々の活動や読んだ本について書き綴っていこうと思います

願いが叶ったとしても

「泣いた赤鬼」と「はてしない物語」、「アルジャーノンに花束を」という話をご存知でしょうか?
この3つには一つの共通点があると感じ、記事にしました。

泣いた赤鬼では

泣いた赤鬼は人間と友達になりたいと思っていた赤鬼に友達の青鬼が「僕が人間を襲うから赤鬼君が人間を助けてあげなよ。そうすれば友達になれるよ」
との提案を受けて実行し、人間と友達になる事ができた赤鬼でしたが、赤鬼と青鬼がその後も一緒にいるのは不味いと思った青鬼は赤鬼の元を去っていくのでした。

はてしない物語では

はてしない物語では本の中の世界に入ったバスチアンが本の中の女王から「アウリン」というアイテムを授かり、そのアイテムの力によって自分の願いを叶える事ができるようになるのでした。初めは美しい自分の見た目、腕っぷしなど得たいと思ったものを何でも得られるようになるのですが、いざ叶ってみるとその状態が当たり前になりこれまで願っていた事すら忘れてしまうようになってしまいます。
また、このアウリンはとても曲者なアイテムで持ち主の願いを叶える代わりに持ち主の人間界での記憶を無くしてしまうという副作用があり、全ての記憶を無くすと廃人になるという恐ろしいものでした。←幼心の君はなぜこんなものを渡したのか…

一応、幼心の君はファンタージエンを救った救世主の願いに対して善悪区別しない、とありますね。その本人の願いが長期的に本人に破滅をもたらすとしても、ですね…。
ファンタージエンに入ったばかりのバスチアンはグラオーグラマーンというライオンに似た生き物と出会うのですが、この生き物から「本人の真に欲することを成せ」と忠告を受けます。

心理学用語になりますが、地位、名誉、お金などの外発的欲求ではなく、自分の内側から湧き出る内発的欲求に従え、という事なのかもしれません。

歴史を振り返っても地位と権力を求め過ぎて破滅した人は沢山いますし…

権力を求め過ぎてファンタージエンの帝王になったもの、なろうとしたものが行き着く元帝王たちの都の描写では支離滅裂で意味のある行動を取れなくなる住民たちが多数登場し、その描写がなかなかえげつないです。作者のミヒャエルエンデは本物の廃人を見た事があるのかと疑うほどでした。

アルジャーノンに花束を、では

アルジャーノンに花束を」ではチャーリィは知的障害者でした。しかし、賢くなって友達を増やしたいと思っていました(当時彼は自分が賢くなればみんなが自分を好きになってくれると思っていた)。
チャーリィが知能を引き上げる実験によって天才になるのですが、それによってこれまで見えてこなかったものが見えるようになってしまいました。
それはこれまで自分が知的障害者で周りから馬鹿にされていた事、幼い頃母親から酷い仕打ちを受けていた事などです。
またこの実験には重大な欠陥があり、知能が高くなったとしてもしばらくすると知能が下降し、元のレベル以下の知能になってしまう、というものでした。

これらから

小説や物語というのは明確にメッセージがあるとは限りませんが、作者の思想が反映される事が多いです。この三つの物語は同じ作者ではありませんが、このようなメッセージ、もしくは考えがあるのではないかと思います。

願いが叶ったとしても自分の望み通りの結果になるとは限らず、かえって元の状態よりも悪くなる可能性がある

という事です。とはいえ、なってみないと分からないのが厳しいですね。